この永遠なるもの



2032 A.D.

 ミス・ラングレーへ

    クリスマスプレゼントどうもありがとうございました
    とてもうれしいです
    ママがかきなさいというのでかきました

                    いかり いちろう


2035 A.D.

  ミス・ラングレー。今日わがやに、かぞくがふえました。彼は『ダルマシ
アン』というしゅるいの犬です。みんなで名まえをかんがえました。そしたら
お父さんが「ペンペンはどうだい」というのでぼくはへんな名まえだなあと思っ
たがお母さんもそれがいいというのでそうしました
 なんでもむかし知っていた人がつれていたペンギンの名まえだそうです。耳
が黒いのでペンギンのはねのように見えないこともないです。
 しだいにぼくもこの名まえがきにいりました。ぼくがペンペンといっしょに
とった写しんをいれておきます。犬のほうがペンペンだよ!ミス・ラングレー。

 どう、おもしろかった?


2040 A.D.

 ありがとうございます。ミス・ラングレー。あなたのすすめのとおり、ペン
ペンの事をノートにいっぱい書いてみました。本当でした。とても落ちついた
気持ちになりました。おっしゃる通りあれが彼の運命だったかもしれません。

 でもぼくがもっとしっかり散歩綱を結んでいたらと今も思います。彼にはやっ
ぱり何のつみもないと思うんです。彼は通りの反対側を歩いてやってくるぼく
を見て、うれしくて飛びつこうとした。そのとき綱がはずれて彼が道路にとび
だして車にはねられた。でもなんで彼が死ななければならないんでしょうか。
責任はぼくにあるのに。犬に交通ルールを守れっていったってむりでしょ。ぼ
くが自分がホットドッグを食べたいから、さわぐといけないから公園の反対側
に犬をつないで買いにいったのが原因でしょう?

 あなたに教えられたことばに「原罪」ということばがあります。ペンペンに
はその原罪すらないんでしょう。原罪は人間にしかないのだから。神様はうれ
しくて友だちに飛びつこうとしただけの犬をなぜ死なせたんだろう?

 すみません。ミス・ラングレー。今の質問はなかったことにしてください。
 もうきっと自分の心のおくではけりのついた事なんです。

PS.
 今日母に中学生の時の卒業アルバムを見せてもらいました。三年の時は他の
小学校の校庭に仮の校舎を立てて勉強してたんですね。
 見つけましたよ。ミス・ラングレー。目のあたりはぜんぜん変わっていませ
んね。とても男子に人気があったんでしょう?わかります。すごくかわいいと
思いました。ぼくの同級生にこんな子がいたらなあと思いました。

PSのPS.
 ぼくはおせじを言うような男じゃありませんよ。ミス・ラングレー。


2041 A.D.

 ぼくのガールフレンドのこと、ほめていただいてありがとうございます、ミ
ス・ラングレー。自分で言うのも変なんですがメグミはとてもいい娘だと思う
んです。じつは今晩、彼女を家まで送って行って、初めて家の前でキスしたん
です。

 彼女がおやすみなさい、と言って家の玄関へ消えていった後も、ぼくはしば
らくそこに立っていました。彼女が育った家を見ていたんです。彼女が16に
なるまで大切に育てられた家を。そんなに大きな家じゃなかったけど、まるで
王女を守る城のように見えました。彼女は寝る前にぼくの事を考えてくれてい
るだろうか。ぼくがいつか城壁を昇ってむかえにゆくのを待っていてくれるだ
ろうか。そんなことを考えていました。

 ひゃあ、恥ずかしいです。ミス・ラングレー!あなたとぼくの書簡集からこ
の手紙ははずしてください。こんなものぼくの子孫に見られたら恥ずかしい。


2043 A.D.

 母の葬儀にわざわざ来日していただいてとても感謝しています。あなたがい
てくれたおかげで、父は取り乱す事なく、母を送りだすことが出来たのだと思
います。父はあなたが帰国されてから、めっきり無口になってしまいました。
 僕は母から産まれた子ではありません。僕たち母子の肌の色はまるでオセロ
とデスデモーナのように違います。でも僕は母から命以外のすべてを与えられ
たような気がします。

 ミス・ラングレー。・・・神は愛である、と宣教師たちはしたり顔で言うの
に、人の死に行く運命を、愛である神が決めているのなら、あんなにも愛しあっ
ていた夫婦を引き裂くことが、どうして出来るんでしょう?
 僕は不思議でなりません。
 母はまだ42歳でした。僕は、いつも夕方になるとぼんやりと縁側に座って
いる父を見ていられません。

 僕の勉強部屋から庭の芝生を見おろすと、夏の日によく着ていた淡い黄色の
木綿のワンピースを着た母が、鉢植えに水をやっているような気がする。
 そして目を閉じると、なぜか若い頃の母の姿が目に浮かびます。それはそれ
は穏やかで澄んだ赤い瞳で、まだよちよち歩きしか出来ない僕の顔をのぞき込
んでいるところ。
 父はあんまり語りたがりませんが、そのころ父と母は大変な苦労をしていた
そうですね。やっぱり母の出生のことなんでしょう、ミス・ラングレー?母が
早死にしたのはそれも関係あるんだ、父は一昨日そうつぶやくように僕に教え
てくれました。父はいったい、いつからその事を、つまり母が早死にするかも
しれないと知っていたんだろう?ミス・ラングレー、何か心当たりがありませ
んか?
 父は答えてくれません。

 それでも僕の記憶の中の、苦労していたはずの母はとても優しい顔をしてい
るんです。不思議ですね、そのころ外では嵐が吹き荒れていたと聞くのに。

 すみません。長くなりました。僕はあなたに書くことを教えられてから、書
くことによって救われ、悲しさから逃れられるような気がして・・・・。
 僕は学校から帰ると夜遅くなるまで、いろいろ書いています。また送ります。
 読んでいただけますか?
 それでは。


2051 A.D.

 『The Evangelists』の特別装幀本、届きました。どうもありがとうござい
ます。新作の小説がこうして「紙」の本でよめるなんて不思議な感じがします。
すでに何度も読んでいますが、とても面白く感動的な小説だと思います。本業
の応用物理学の研究の合間にこんな本をかかれるなんて、本職の小説家たちは
勉強のしなおしですね。この本は僕の宝物にします。もし僕が結婚して子ども
が出来て、14歳になったらまっさきに読ませたい。

 ・・・ミス・ラングレー。どうか怒らずにきいてください。
 この小説のヒロイン『スカーレット』はどう見てもあなたの分身、いえあな
たそのもの見える。となると彼女は・・・。『ケンジ』を愛しているように見
えます。もちろん『ケンジ』は決断力があり自分の意志で未来を切り開いて行
くタイプ。当時の僕の父とは違うんでしょうが・・・。
 誤解だったら謝ります。あなたは父の事を愛していらしたのでは?
 あなたが今に至るまで、結婚なさらなかったのは、あなたがこの制度を軽蔑
されているがゆえ、というのはわかります。絵はがきや手紙でいろんな男性の
方を愛し、時には暮らしてこられたというのも知っています。
 でも、ひょっとして、父が無謀としかいいようのない、「綾波レイ」との結
婚を選択したのも、その遠因となっていたのではありませんか?

 もし、もしかりにそうなら・・・ミス・ラングレー。時たま父に会ってやっ
ていただけませんか?VPHONEでも結構です。・・・会って、今までと違
うかたちで父と接していただけませんか?あなたも父もまだまだ若い。まだこ
れからの人生は長い・・・。一流の物理学者兼ベストセラー作家と平凡な公務
員、あまりにも違う二人ですが、僕にはこの小説が、達意の文章で巧みに隠蔽
された愛の告白に思えるのです・・・。

 これだけ無礼なことを申し上げて、なお僕はあなたとの長年の友情を失いた
くないと思っています。僕の邪推に腹をたてられても、どうか文通を続けてい
ただきたく存じます。すみませんでした、ミス・ラングレー。


2056 A.D.

 ミス・ラングレー。昨日5年ぶりのあなたからの返信をなんども読み返して
はあなたの寛容さに感謝しています。僕は半ば絶望していました。
 五年間で僕をとりまく環境はあまり変わっていません。強いて言えば結婚し
て子どもが出来たぐらいかな?
 驚かせてすみません。あなたのお怒りがもしとけたら、ご連絡するつもりで
した。妻と子どもの写真を送ります。妻はメグミといいます。憶えておいでで
しょうか?僕はお姫さまを迎えに行きました。

 小さい方が子どもです。

 時は容赦なく流れていくのに、僕のユーモアのセンスは進歩しません。
 そしてミス・ラングレー、驚かないでください。僕はこうしたかった。あな
たからもう二度と返事がこないかもしれないと考えると、いてもたってもいら
れなかった。
 許してくださいますね?


2075 A.D.

 月、月、月。素晴らしい。僕はびっくりしましたよ、ミス・ラングレー!
 あなたの老いても(失礼!)旺盛な好奇心には頭が下がります。僕は永遠に
陸に上がれない海棲は虫類のように、あなたの大冒険を見上げているしかない。
どうか、どうかお体に気を付けて。月面で骨折する観光客も多いとききます。
(自分の質量はそのままであることを忘れる人のなんと多いことか)。
 ルナ・チボリの絵はがきを楽しみにしております。

 よい旅を!


2076 A.D.

 ミス・ラングレー。今日はとても悲しい知らせを伝えなければなりません。

 父が死にました。

 ちょうどあなたが月への船旅を楽しんでおられる時になくなりました。心不
全でした。連絡して、引き返せないのにあなたにつらい思いをさせたくなくて、
こうして手紙で知らせることにしました。予定通り帰られてこの手紙を読んで
いるとするなら、三ヶ月前に葬儀は終わっています。

 葬儀には、あなたも憶えているでしょう、鈴原さんご夫妻と相田さんも来て
くれました。三人ともいい感じに年を重ねておられます。
 父を火葬した斎場には綺麗な庭園があり、遊歩道がついていました。順番が
来るまで1時間ほど待たされたとき、鈴原さんと相田さんが二人でゆっくりと
遊歩道を歩いているのが偶然目に入りました。
 父と母の卒業アルバムを思い出しましたよ。まるで中学生の仲の良い友だち
が、連れだって学校から帰っていくような、そんな感じでした。父だけがそこ
にいないのが変な感じでした。三人ならんで(三バカトリオって呼ばれてたん
ですよね)、まっすぐ帰るのもつまらんし、どっかよっていこうや、と鈴原さ
んが大阪弁で言うのが目に浮かぶようです。
 でもやっぱりそこには父はいないんです。父が二人と同じように喪服を着て
ならんで歩いてくれたらいいのに。白い棺の中が空っぽだって大騒ぎになったっ
てかまやしない。
 ミス・ラングレー!何をだらだら書いているんでしょうね。僕は。
 父は確かに少年の時、たまたまに近いカタチであったけどこの世界を救って
くれました。父はその事実を隠そうとしていましたが、正当に英雄として評価
されるべき偉大な行為だと思います。
 でも僕にとって何より父が偉大であると思うのは、世界を救った事よりも、
重い重い十字架を背負った母と、実の両親もわからぬ戦災孤児だった僕を、守
りとおしてくれたことなんです。
 「エヴァ」の事件と母の生まれにかんする騒動のあとの父の半生は、まこと
に平凡なものでした。でも僕はその平凡な後半生を、男として、とても尊敬し
ています。

 ミス・ラングレー。この手紙と一緒に小包が届いていると思います。
 その中には父と30年前無くなった母が『チルドレン』だった時に使ってい
た髪留めのような器具が入っています。あなたの本にあった『怒りの神』の日
に身につけていたのはパイロットの服とこれだけなのでしょう?
 父とそして母との形見としてこれをあなたに持っていて欲しいのです。あな
たほどふさわしい人はいないでしょう。



 * * * * * * * * *


2078 A.D. カリフォルニアにて

 雲一つ無く晴れ上がった朝だった。どこか遠くで、鈍い雷鳴のような、成層
圏連絡機が大気を切り裂く音がした。
 墓地の空高く雲雀が一羽鳴いていた。ここは死で満ち満ちているのに、明る
い雲雀の声が何か場違いな気がするわ、と碇イチロウの娘は思った。彼女は父
の斜め後ろをそっとあるいていた。とうさん、私がついてきたこといやがって
るんじゃないかしら?彼女はそう思った。

 その人の墓は遠くからでも分かった。父が足を止める。
 イチロウは白い墓石に深紅のバラがあしらわれた、彼女らしい墓標の前にひ
ざまずいた。彼は昨日サンタバーバラのホテルで書いたミス・ラングレーへの
最後の手紙を、それの前に、そっと置いた。妻が寝息をたて始めるのを確認し
た後声を殺して泣きながら、何度も何度も書いては消し書いては消したのだ。
結局書けたのは本文がたった三行のラブレターだった。

 『愛するアスカへ

  アスカ、
  僕はあなたをとても愛しています。
  あなたは僕のことをどう思ってますか?

  あなたの忠実なる 碇 イチロウ』

 あなたからはもう返信は来ない。けっして来ない。だからこそ僕の手紙は、
完結しない往復書簡集の最後から、あなたに向かって永遠に質問を発し続ける
ことができるのです。
 あなたは遥か彼方に行ってしまったけれど、この手紙を質問で終わらせるこ
とによって、僕の想いは、木霊のようにいつまでも響かせ続けることができる
のです、イチロウはそう思った。
 ミス・ラングレー、僕はいろんな質問をしてあなたを困らせましたね。今度
の質問は答えにくいですか?僕のことをどう思っていますか?僕は、あなたの
ことを、とても愛しています。

 娘は、大きな父が肩を震わせながら、子どものように涙を流しているのを見
て、彼に背を向けることにした。恒星に人の手が届こうというこのご時世に、
父が古風な信条を持ち続けているのを知っていたから。
 男は人前ではけっして泣かない。

 雲雀の鳴き声が止んだ。しばらくして背後に父の近づく気配がした。
「さあ、ホテルに帰ろう。アスカ。ママを連れて食事にでも行こう」褐色の肌
を持つ中年男は、薄茶色の肌を持ち黒い髪を長く肩にたらした娘の腕にさわっ
た。
「うん」
 彼女は頷いた。とうさん、白髪が増えたわ。娘はそう思った。
 碇アスカは、父のたくましい腕に自分の細い手をそっと添えて、長くつづく
墓地の舗道を歩きはじめた。






お  わ  り

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