風に吹かれて




 ところが、式の前日になっても、帰ってこなかった。
 青葉シゲルの事である。
「ちょっとクスリが効きすぎたかな?」マコトは思うのだった。

 当日になった。マコトは神前での式を終えると、披露宴までのちょっとした
時間に、披露宴にそろって出席してくれることになった野球部の後輩たちに会っ
た。
「先輩、おめでとうございまっす!」若者の一団は声を揃えて言った。
「お、ありがとう。すぐ披露宴だからな。それより悪いけどな、お前ら交代で
式場の外見張っててくれないか?」
「へ?」
「あとで、なんかおごってやる。理由は聞くな。交代で披露宴会場の、窓のと
ころを見張るんだ」
「なにか、やって来るんですか?先輩」
「うん、長髪のギター抱えたでかい男が、窓に飛びつこうとしたら、押さえて
披露宴会場の中に連れてきてほしいんだ」
「はあ・・・」

 披露宴は始まった。来賓挨拶が延々と続く、田舎の結婚式。

 受付は同級生の、水島と原田に頼んでいた。
「だーれか足りないと思ってたら、青葉くん来てないわね」
「うん、どうしたんだろなあ。マコトとユミと一番仲よかったのに」

 その時、マコトの市にたったひとつしかない結婚式場の前に、タクシーが止
まった。車の中からギターケースを抱えた青葉シゲルが出てきた。ジーンズの
上にジャケットを着て、ネクタイを締めていた。彼はのそのそと玄関ロビーに
向かって歩いてくる。
「よう。青葉・・・遅かったな。・・・なんか、お前、やつれてないか?」
「ほんと、青葉くん、風邪でも引いたの」
「明け方まで、仕事だったんだよ・・・。あのアホ、何度もリテイク出しやがっ
て・・・。『ようやく乗ってきたからもう一回頼むよ、青葉チャン』だと、ど
ちくしょう。・・・・それより、この建物の外でうろうろしてる男どもは、な
んだ?人のことじろじろ見やがって」
「さあ、日向の後輩かな・・・。それよりもう始まってるぞ、名前と住所書い
て」
「・・・ああ、めんどくせーな」シゲルは疲れたように言った。その時、その
テーブルの下に、『日向家・篠原家披露宴』などという文字を見つけた。
「・・・」
「何見てるの、青葉くん?」
「・・・お前ら、マコトの式の受付だよな?」
「そうだよ」「そうよ」
「・・・『日向マコト』の結婚式の受付だよな?」
「そうだよ、マコトとユミちゃんの結婚式の受付だよ」
「・・・は」青葉シゲルから空気が抜けた。「ははははは」彼は風船がしぼむ
ように笑い出した。
「はははははははははは、そうだよねえ、あの口から生まれた篠原と、あの、
ひとでなしの野球少年の結婚式だよねえ!ははははは」
「お、大声で言うなよ!親戚の人に聞こえたらどうするんだ!」
「あ、ああごめん、ごめん。あ、あの野郎・・・!し、式場はどこだ?」青葉
シゲルは『怒り笑い』しながら、会場へ大股で歩いていく。ふと、振り返った。
「マヤ、・・・は来てるよな?」
「ああ、来てるよ。きれいになったな、あの子」
「お前が言うな、水島、じゃな。お役目ごくろーさん」

 観音開きのドアをバンと開けた。
 ちょうど町会議員かだれかの挨拶の時だった。招待客の目は、一斉にシゲル
に集中した。シゲルは視線を気にせず、きょろきょろと披露宴会場を見渡した。
会場のずーっと奥の正面に、紋付きを着たマコトと、花嫁衣装を着て白塗りし
ているユミが見えた。
 マコトは、会場の前の方の隅を、一生懸命、指さしている。シゲルはそっち
を見た。伊吹マヤが、白いレースの飾りがついた黒のワンピース、胸に花のコ
サージュをあしらった、伊吹マヤが、座って、彼を見ていた。

 体中の力が抜けていった。ぶっ倒れそうだった。シゲルはよろよろマヤにむ
かって歩く。
 来賓の挨拶が止まった。会場の全員の目が、青葉シゲルに集中している。静
まり返っている。
「ギターをお持ちしましょう」突然横から係りの人が出てきた。
「あんた誰?」
「係りの者です」
「じゃ、持っといてくれ。『係りのモノ』」
 シゲルは、マヤの隣の席にゆっくりと腰掛けた。なぜかそのテーブルはマヤ
とシゲルだけだった。シゲルはそんなことはどうでもよかった。たとえ五千人
と同じテーブルについていても、マヤだけを見ていただろう。
「・・・どうして、入ってくるだけで、みんなの注目を集めなきゃならないの」
伊吹マヤは小声で言った。
「・・・マヤ、伊吹マヤ、きみが伊吹マヤでよかった。ああ、マヤ」
「な、何をいってるのよ、静かにしなさい」

「・・・こほん、で、ありまして・・・」狸みたいな顔をした町会議員は挨拶
を再開した。

 シゲルは、膝の上に両手を置いて、退屈な挨拶を一生懸命聞いている、伊吹
マヤを見つめていた。きれいだった。夏頃に比べて、もっと女らしくなったみ
たいだった。内側から輝くような魅力があふれ出ているような気がした。酔っ
ぱらうような安堵感が押し寄せてきた。彼は眠たくなった。彼は、眠たいこと
を我慢したことは小学校の時から一度もない。
「くー、くー」さほど小さくもないいびきを立てて、彼は寝た。

 目がさめた。隣でマヤが、グラスに入ったウーロン茶を飲んでいた。
「ああ、マヤ」シゲルは言った。
「起きた?・・・信じられないわ。五人の挨拶の間、ぜんぶ眠っていたのよ」
彼女はあきれたように言った。
「もう、食べていいんだろ?」
「そうよ」彼女は言った。
「そうだ」シゲルは、一発どついてやるために、マコトの座っているはずの正
面の金屏風の方向を睨みつける。しかし新郎も新婦もいなかった。
「あ、逃げやがった」
「バカ、お色直しよ」
「じゃ、また出て来るんだな。・・・あいつら、いつの間にこういうことになっ
たんだ?」
「わたしもびっくりしたのよ。突然ユミちゃんから電話がかかってきて、結婚
するから相手に会ってほしい、って言われて、行ってみたら、マコトくんが座っ
てて」
「あのやろう・・・」
「どうしたの?・・・さっきから?・・・日向くんと何かあったの?」
「いや、何でもない。あー、とにかく腹減った」
「仕事だったの?」
「うん、朝まで。ホントは昨日から帰って来たかったんだけどさ。しょうがな
いから朝一番の飛行機に乗って。・・・駅から野球少年の家に電話したら、奴
はいなくて、親戚の人が式場教えてくれたんだ」
「仕事、忙しいの?」
「ああ、たまにこんな事もある」
「そう。・・・大変な仕事なのね」
「・・・なんか、変だよ」シゲルは言った。
「何が?」
「いや、なんとなく、さ。・・・なにか変わったこと、あったのかい?」
「なにも」
「だったら、いいんだけどさ」

 食器や、グラスのふれ合う音。女の子の笑い声。おじさんたちの笑い声。
 突然、シゲルの頭をぱこん、と誰かが叩いた。
「いてーな!」シゲルは振り返った。牛乳瓶の底のような度の強い眼鏡をかけ
た、五十才くらいの小男が立っていた。
「お前、まともに生きてるか、青葉」
「あー『係りのモノ』!ここに暴力教師がひとりいるから片づけて!」シゲル
はあさっての方向にむかって叫んだ。
「相変わらずだな、青葉」高校三年の時に担任だった、向井だった。
「お久しぶりです、向井先生」マヤは立ち上がって挨拶する。
「やあ、久しぶり」
「こんな奴に挨拶する事無いって」シゲルは言った。
「シゲルくん!」マヤはたしなめた。

 その時、ウェディングドレスを着たユミと、白いタキシードを着たマコトが
入ってきた。「あとでな」と言って向井先生は去った。
「ユミちゃん・・・きれい」マヤはつぶやいた。
 シゲルは、目を輝かせているマヤをぼんやりと見ていた。ウェディングドレ
ス姿は、篠原より二千倍はきれいに違いないと思った。
 ・・・野球少年も篠原もふぬけた笑いを浮かべてやがる。シゲル思った。あ
んな食いもしない、でかいケーキにナイフを入れて、何が面白いんだ、と思っ
た。

『続きまして、友人代表のスピーチをお願いしたいと思います。伊吹マヤさま
お願いいたします』

 シゲルは、マヤの後ろ姿をながめていた。彼女は会場のステージ側の隅に立っ
て、マイクを持って喋りだした。
 シゲルは目を閉じた。閉じたかったのだ。ああ、マヤが喋っている。はっき
りと、くっきりと、すっきりと、決して媚びてはいない、涼しげな声。・・・
とてもいい気持ちだった。
 シゲルは高校の頃から、授業でマヤが先生に当てられて答えたり、教科書を
読んだりするのを聞くのが好きだった。伊吹マヤを好きになったのも、それが
きっかけだったような気がする。

『続きまして、新郎の友人を代表して、青葉シゲルさまにですね。スピーチで
は無く一曲演奏していただきたいと思います、・・・青葉さまは』

「シゲルくん、シゲルくん」
「あ、マヤ」シゲルは目を開けた。
「演奏するのよ、あなたが」マヤはシゲルの顔をのぞき込んでいた。おれたち、
夫婦みたいだ、シゲルは思った。

 披露宴会場には、小さな生バンド用のステージもあり、アンプもある。
 シゲルはギターを抱えて、イスに座って、いったい俺は何を歌うつもりだっ
たっけ?と思っていた。全員が彼を見ていた。マヤも見ていた。悪人のマコト
も、なんだか心配そうに見ていた。
 『浪曲子守歌』『星影のワルツ』『別れても好きな人』『別離』『お座敷小
唄』などという、普段口ずさんだ事もないような、とんでもない曲名ばかり浮
かんできた。いくら相手がウソツキ日向の結婚式でも、こんなもんを歌うわけ
にはいかねーな、シゲルは思った。

 その時、どっかっから歌が飛んできた。天国からかもしれない。
「・・・えー、それじゃ、あの、ここにいる野球少年と、その嫁さんのために
歌います・・・、おーい、そこのボーズ頭の後輩ども、手拍子とれよ。遠慮無
くノレよ!曲は、ジョン・レノンの1980年の曲、『Starting Over』、い
くぜ」

 シゲルは、原曲どおりゆっくりとギターをかき鳴らし、やさしく歌い始めた。
そして、アップテンポに。足で軽くリズムと取った。
 彼は歌もギターもうまくなっていた。
 2コーラス目に入ったときには、何人かの若者が手拍子をとっていて、何人
かが足を踏みならしていた。
「...starting over」シゲルは、原曲よりも多くリフを繰り返した。いまや若
者だけでなく、年輩の人も手拍子をとっていた。早くも酔っぱらってしまった、
おじさんが踊りだした。
「...starting over!」
 シゲルは演奏を終えた。いえーい、と歓声を上げながら、野球部の後輩たち
が立ち上がって拍手した。会場が拍手に包まれた。

 マコトが立ち上がって、「シゲル」と呼んだ。「ふんだ」シゲルはそう言っ
て、マヤの待つテーブルへかえった。
「すごく、よかったわ、シゲルくん」マヤの目が輝いているような気がした。
何人の前で歌う事よりも、マヤの前で演奏するのがいいな、シゲルは思った。

 キャンドル・サービス。新郎と新婦が細長いローソクを持って、各テーブル
のローソクに灯をつけて回る。シゲルとマヤのテーブルまでやってきたのは、
終わりのほうだった。

「足どけろよ」マコトは言った。シゲルが日向の前に足をでん、と投げ出して
いるのだ。
「うそつき」シゲルが言った。
「うそなんかついてないよ」マコトは平然と言った。
「ちくしょう、ナイーブな少年のような俺をだましやがって」シゲルが言った。
「ほら、怒らないで、幸せの灯をともしてあげるから」ユミが笑いながら言っ
た。
「そんなのこーだ、ふっ」
「こら、火を消すなー」マコトは叫んだ。
「やめなさい!子供みたいよ」マヤがたしなめる。
「ふん・・・マヤに免じて許してやる」
「ありがとよ」マコトは言った。

 披露宴は終わった。しかし、新郎新婦の同級生たちは、帰らず、結婚式場の
玄関の前で、二人が出てくるのを待った。バンザイ三唱をするのだという。

「なあ、ここで突っ立っててもつまんないし、アイツらが出てくるまで散歩し
ないか?」シゲルはマヤに言った。
「・・・うん」マヤは答えた。

 いい天気だった。小春日和だった。二人は結婚式場の裏にある小さな日本庭
園の中を歩いていた。
「ねえ、マコトくんと何があったの?」マヤは言った。
「い、言いたくない」シゲルは答えて黙ってしまった。
 マヤは池の中の鯉をぼんやりと見ていた。ぱくぱくぱく、ぱくぱくぱく。鯉
たちは口を開けている。伊吹マヤは、その鯉たちを見ていると、なぜか、むか
むかと腹が立ってきた。
「・・・わたしにも、言えないの」披露宴の間、妙にやさしかったマヤの声が
冷たくなっていく。
「いや、・・・だから、その、おれ勘違いしてたんだ」
「勘違い・・・何を?」
「だ、だから、さ。おれ、てっきりマヤが日向と結婚するのかと。いや、あの
好青年ヅラした悪魔がいけないんだぜ!あいつが紛らわしいこと電話で」
「シゲルくんはどう思ったの?」
「へ?」
「シゲルくんはわたしが結婚するって勘違いして、どう思ったの?」
「いや、あの。・・・この、その」
 シゲルは頭をかいた。何を、どう言えばいいのか、わからないのだ。シゲル
は黙ってしまった。マヤの頭の中で、怒りが頂点に達していた。体育館で、全
校生徒が一斉に振り返って自分を見たときの事を、ふと思い出した。そしたら、
何かが、ぷちん、といって切れた。
「だって、当たり前でしょ!」マヤは、突然シゲルをにらみつけた。そんな表
情をしたマヤを、シゲルは初めて見た。ユミがその場にいれば、「二回目」と
言うかもしれない。
「わたしは、田舎の農協の女子職員なのよ!勤めだして7年目。去年の暮れに
25歳になったわ!ここで結婚するの、あたりまえじゃない!」
「あ、当たり前ってことは・・・」
「あたりまえなの!・・・だいいちシゲルくんに、待っていろとも、ついてき
てくれとも言われた覚えはないんだから、自由でしょ!・・・だいたい、あな
たの年収はいくらなの?」
 シゲルは、いったいどこからどういう理屈で年収の話になったのか、さっぱ
り理解出来なかったが、マヤの勢いに押されて、正直に答えた。
「ほら!そんな年収じゃ、わたしも、働かなくちゃならないでしょ!東京は物
価が高いんだから!わたしは、高卒だし、世間知らずだし、田舎から出たこと
ないし、東京なんか修学旅行でしか行ったことないのに、向こうで仕事するな
んて出来るわけないでしょ!」
「いや、マヤ、あのね」
「わたしは田舎で生まれて、田舎で結婚して、田舎で死ぬの!それに東京は地
震が多いでしょ!」マヤは、それみたことか、という表情でシゲルを睨んでい
る。
 シゲルは、自分が、とんでもない悪い夢を見ているような気がしてきた。
「だから、さ、マヤ。落ち着いて」
「わたしは落ち着いてるわよ!」
「く、暮らしていけるよ、マヤだったら、・・・ほら、あの。友人代表のスピー
チだって、上手に出来たじゃないか」
「友人代表のスピーチと、東京で暮らすのとは関係ないでしょ!」
 それは、そのとおりである。

「みんな、なに見てるんだよ」普通のスーツに着替えた日向マコトが、式場の
エントランスの隅に固まっている同級生たちに声をかけた。
「おお、日向、見て見ろ、こんな面白いもん、見たことないわ」同級生の男が
言った。
「・・・話きいてると、マヤちゃんも、けっこう変わってるわね」他の女の子
が言った。
「うん・・・なんで唐突に年収の話になって、おまけに東京がどーのって事に
なるんだろう?」他の男子が言う。
「やっぱり、あの子も変人・・・?」
「あたしは、前から知ってたわよ」可愛らしい淡いピンクのツーピースに着替
えているユミが言った。


 マコトとユミが新婚旅行に出発した次の日、シゲルとマヤは「再戦」した。
 ますますワケがわからなくなった。
「と、とにかく電話するよ。おれは仕事があるから」
「あたしだってあるわ。今日、無理言って休んだぶん働かなくちゃ」
 無人駅のプラットホームでマヤが言った。
 シゲルはマヤの家にちょくちょく電話するようになった。いつも始まりは高
校の頃の思い出だが、最後はたいがい東京で暮らせる暮らせないという話で終
わった。いったい、なぜこんな事を議論しているんだろう?とシゲルは思った。
おれはプロポーズしたのか?したとしたら、いつしたんだ、シゲル、彼は自問
自答した。
 とにかくはっきりしているのは、二人の性格は、まるで違うということだっ
た。あまりに違うので、シゲルはある時、はははははは、と笑った。マヤもつ
られて、うふふふふふと笑った。
 とにかく、もう一度会うのだ。シゲルは、無理矢理スケジュールをあけて、
田舎に帰った。二人で、マコトとユミの新居に行った。賃貸マンションだった。
「東京だったら、この程度の部屋数で、いくらぐらいするのかしら?」マヤは
つぶやいた。その場にいたマコト、ユミ、シゲルが、いっせいに彼女を見た。
 マコトとユミに、遠慮なくいちゃいちゃされた。四人ですき焼きを食べた。
やっぱり東京がどうのという話を、今度は四人でした。シゲルはわけがわから
なくなった。
 マヤの家の前で、シゲルは、マヤのおでこにキスをした。
「明日帰るよ、こんなに休んでると忘れられちゃう」彼は言った。

 朝の無人駅のプラットホームにマヤは見送りにやってきた。二両編成の汽車
は、この路線が単線なので、急行待ちをしていた。
「・・・東京へ、帰るのよね」マヤはさびしそうに、そう言って、目を伏せた。
 朝日を浴びて、産毛が金色に光っていた。シゲルは、思わずマヤを抱きしめ
た。彼の頭の中は、真っ白になった。しかし、あんまり普段と変わったように
見えなかった。
「・・・マヤ、おれが今度帰るときは、一緒にこの汽車に乗ってくれないか」
シゲルは苦しそうに言った。
 マヤは、シゲルの腕の中で、彼の顔を見上げた。彼の後ろに、青い空が遠く
まで広がっていた。
 今日も、いい天気になりそうだった。春が、すぐそこに来ていた。
「・・・はい」マヤは答えた。

 マヤの両親は反対した。大反対だった。宇宙人に嫁にやる方がましだ、とま
で言った。伊吹家の人々にとっては「ミュージシャン」などというものは理解
の範疇を越えていた。そして、口に出しては言わなかったが、シゲルが育った
家庭の事情も反対の理由らしかった。
 マヤは、しかし、いったんこうと決めたら、梃子でも動かない頑固な娘だっ
た。彼女はひとりで頑張った。毎日、両親を説得した。そもそも彼女を育てた
のは彼らであって、普段はおとなしい彼らの娘が、いったん何かを主張し始め
たがさいご、けっして意見を曲げないことを、充分に知っていた。
 彼らは、しまいにゃ折れた。それまでの間、シゲルは一度も両親に会っては
いなかった。もちろん後で家に行ったが、「はあ・・・娘をよろしくなあ」と
気の抜けた返事をされただけだった。


「お前ほど着物の似合わない男も珍しい」マコトは言った。
「お前だって、こないだは『七五三』の記念写真に見えたぞ、野球少年」シゲ
ルは言った。
 二人はこの間の結婚式場の、『新郎控室』の前に立っていたのだ。
「マヤちゃん、出てくるわよ」日向ユミがばたばたと走って来た。
「お前も人妻なんだからさ、もっと静かにあるけないのかよ」シゲルは言った。
 そのとき、ドアがゆっくりと開いて、白無垢に、綿帽子という花嫁衣装のマ
ヤが、着付けの係りの人と一緒に控え室から出てきた。恥ずかしそうに上目遣
いにシゲルを見た。
「・・・」
「おい、扇子落としたぞ、シゲル」マコトは、しゃがんで拾ってやった。
 シゲルは答えず、立ちすくんでいた。なんと、大粒の涙が、長髪のでかい男
の目から、ぽろぽろとこぼれ落ちていた。
「お前、なに泣いてんの?」マコトは言った。
「・・・おれ、・・・おれ、・・・こんなに美しいもんみたの、生まれてはじ
めて・・・」彼はつぶやいた。
 確かにマヤはきれいだった。輝くように美しかった。マコトもそう思った。
でもなにも、泣かなくても。
「シゲルくん、マヤちゃんはね、あなたのためだけに、こんなに美しいのよ」
ユミが、笑いながら言った。
「・・・ユミ、とどめ、さしちゃったみたいだよ」マコトは、瞳孔が開きそう
なシゲルを心配そうに見ながら言った。

 次にシゲルが、はっと我に返ったのは、高校3年の時に担任だった向井先生
が、横に立って挨拶をしているときだった。
 こいつ、なんでおれとマヤの結婚式に来てやがるんだろう、シゲルはじろじ
ろと向井先生を見上げた。しかし、次の瞬間、この教師に『仲人』を頼んだこ
とを思い出す。

 堅苦しい挨拶もようやく終わった。なんて、肩の凝るもんだろう。シゲルは
思わず天井を見上げる。辛抱、辛抱。「式だけは、こっちできちんとでやって
くれ」というマヤの両親のたっての頼みだ。聞かないわけにはいかなかった。
 酒が回ってきて、にぎやかになってきたところで、着替えさせられた。まる
で売れない演歌歌手みたいな、ラメ入りの白のタキシードを着るのだ。
 マヤは、純白のウェディングドレス。そうだ。思ったとおりだった。シゲル
はまた泣きそうになった。

『それでは、ここで、青葉イトさんが、孫のシゲル様と花嫁のマヤ様のために
三味線を演奏してくださいます・・・』

 シゲルが、ばあちゃんに頼んだのだ。挨拶しなくていいかわりに、津軽三味
線の「ライブ」やってくれ、と。
 いったいいくつなのか見当もつかない小柄な老婆が、三味線を抱えてステー
ジの真ん中にちょこんと座った。

 べん。べんべんべんべん。べんべんべんべんべん。イトさんはいきなり弾き
始めた。べんべんべんべんべん。「はっ」。べんべんべん。
 にぎやかだった披露宴会場は、水を打ったように静まり返っていた。力強い
三味線の音だけが響きわたった。聴衆はみな、この小柄なたばこ屋のおばあちゃ
んのいったいどこに、これほどの激情が秘められているのか、不思議に思った。
べんべんべんべんべん。マヤの父親は目を閉じて、じっと聴き入っていた。目
を閉じると、行ったこともない想像の津軽の海が浮かんでくるような気がした。
雪まじりの激しい雨の中、カモメたちが飛び回っていた。海が荒れていた。白
波がうねっている。しびれるような寒さに鳥肌が立つ。

 べん。演奏は終わった。空気が凍り付いていた。
 青葉イトはちょこんとお辞儀をした。
「イエーイ!」シゲルは立ち上がって、手を叩いた。会場のほとんどの人が、
立ち上がって拍手をした。青葉イトがひょこひょこ歩いて自分の席に戻った後
でも拍手は鳴りやまなかった。
 マヤの父親が歩いて行って、感激した様子で、イトさんに話しかけていた。
「ふん、ばあちゃんのすごさがわかったか」シゲルはつぶやいた。
 彼の隣で、マヤがくすくす笑った。

 青葉イトは、マヤの父親が自分の席に帰ったあと、着物の袂から煙草入れを
取り出して、煙草に火をつけた。ぷはー。演奏のあとの一本は、かくべつうま
いねえ、青葉イトは思った。

 披露宴も終わりに近づいていた。いよいよお開きというところで、仲人の向
井先生が、突然司会者のマイクを奪って、「おいシゲル、一曲やらんのか?」
と言った。目が完全に酔っていた。
「ばかいえ、いや、先生、あの、ばあちゃんの後になんかやれないよぉ」シゲ
ルは言った。
「じゃ、みんなで歌おう、3年B組でよ」分厚い眼鏡をかけた向井先生は言っ
た。
「『仰げば尊し』かよ」シゲルは言った。場内の何人かが笑った。
「違う違う。昔っから、みんなで歌う歌ってのは決まってる。お前、ボブ・ディ
ラン、知ってるか?」
「もちろん知ってるよ。偉大な男だ」
「じゃ『風に吹かれて』を歌おう!3年B組集合ーっ」
「・・・なんで先生、ディランのこの曲を知ってるの?」
「おれの年代でこの曲知らないやつぁモグリだよ」47歳の高校教師は言った。

 シゲルはステージに座って、借りたフォークギターのチューニングをしてい
た。男子はシゲルを中心に、女子はマヤを中心に集まった。
「みんな俺について歌うんだぞー、このシゲルとマヤを祝福してやるんだ」
「け、この酔っぱらい」シゲルはつぶやく。
「何か言ったか?」
「何もいってねーよ。いくよ、ワンツー」シゲルはギター弾き始める。
 向井はディランのようなしゃがれた声で歌い始めた。「ブロウィンインザウィ
ンド、ブロウィンインザウィンド」発音はカタカナ英語だったけど。彼は歌詞
をおぼえてもらうために第一コーラス目を繰り返した。3年B組の面々もだん
だん慣れてきて、一緒に歌い始めた。
 招待客たちは、原曲よりもゆっくりめのテンポに合わせて手拍子をとった。
 青葉イトは久しぶりに酒を飲んで、ちょっと酔っていた。めでたい孫の結婚
式ということも手伝ってか、彼女は普段は絶対しない行動をとった。
 三味線をとり、自分の席で、同級生たちの合唱に合わせて弾きだしたのだ。
こいつは大いにウケた。ボブ・ディランが若い頃に作ったプロテストソングが、
「沖縄民謡」みたいに聞こえた。
 マコトは他の同級生の男子たちと肩を組んで歌った。ユミもマヤのまわりの
女子たちと歌った。なんだか、キャンプファイヤーを囲んでいる気分だった。
 楽しげな歌声は、披露宴会場の外まで、大きく、長いこと響いていた。


 宴は終わり、マヤとシゲルは東京で始める生活の準備に追われた。新婚旅行
は行けなかった。「来年の正月にはなんとかするよ」シゲルはそう言ったが、
マヤは、「そんなお金があったら、貯金しましょ」と答えた。
 狭いが、住むところも決まった。マヤの母親は嫁入り道具をもっと持たせて
やりたかったのに、とさかんに嘆いた。それほど狭かったのだ。マヤの仕事も
なんとか見つかった。小さな会計事務所だった。二人の収入を合わせると、高
い家賃を払っても、なんとかやっていけるだろう。

 マヤが故郷を離れる日がやってきた。シゲルとマヤは約束の通り、無人駅の
プラットホームで、鈍行列車が来るのを並んで待っていた。マヤの両親と、マ
コトとユミが見送りに来ていた。
「・・・頑張れよな」マコトは言った。
「ああ、元気でな、野球少年」シゲルは言った。
「幸せになってね、マヤちゃん・・・」ユミは泣き出した。マヤは友達の肩を
そっと抱いた。
「うん・・・ユミちゃんも元気でね」

 マヤの父親は、小柄で実直そうな男だった。額には深い皺がきざまれていた。
彼は何もいわずに、シゲルの肩をぱん、と叩いた。シゲルも黙ってうなずいた、
 二両編成の鈍行列車がやってきた。客はシゲルとマヤだけだった。
 二人は、向かい合った席に、向かい合って座った。マヤは手を振った。汽車
が動き出した。マヤはいつまでも手を振っていた。
 ごとごと走る列車の中で、青葉シゲルは、そんなマヤをじっと見つめていた。
彼女の、濡れて、きらきらと光る黒い瞳の中に、延々と広がる田園地帯が映っ
ているように見えた。
 家族も、仕事も、故郷も捨てて、おれについて来てくれた、この、この愛し
い女のために、おれの命よりも大切な、この女のために、おれはいったい何が
出来るだろう、シゲルは思った。自信はないのだった。どこにも自信はないの
だった。
 しかし、なにか声をかけてやりたかった。いま、声をかけてやりたかった。
「・・・マヤ」シゲルは口を開いた。
 マヤは、シゲルを見た。
「・・・おれ、マヤに、ふるさとを捨てさせちゃったね」シゲルは言った。シ
ゲルの声がすまなさそうに聞こえたのか、マヤは、ゆっくりと首を振った。シ
ゲルが、まだ何か言いたそうだったので、彼女は黙って待った。
「・・・東京で暮らしはじめて、さ。さびしくなったら、さ。・・・うまく言
えないんだけど、・・・おれたち、おたがいが、おたがいの、ふるさとになろ
うよ」
 シゲルは、せいいっぱい、考えたのだった。
 ところが、マヤは答えず、シゲルの目を、じっと見つめていた。口元には、
楽しそうなほほえみを浮かべて。
「お、おれ変なこと、言っちゃったかな・・・?」シゲルは不安になった。
「ううん」マヤは、微かに首をふる。けれど、彼女は相変わらず、きらきらと
光る瞳でシゲルを見つめていた。

「・・・変だった?」なんだか恥ずかしくなってきたシゲルが、またきいた。
「ううん」マヤは答えた。
 ごとごと走る列車の中で、マヤは、柄にもなく頬を赤らめたでかい男を、い
つまでも、見つめつづけた。




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              Ending theme "BLOWIN'IN THE WIND"
                            Song by Bob Dylan
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【伊吹マヤ】早朝の農家の庭先。物干しにバンダナが干されている。伊吹マヤ
がそれを取って、家の中に入る。マヤは畳の上に座ってアイロンをかけている。

【青葉シゲル】薄汚いアパート。シゲルはバックをどん、と置く。チャックを
開け、中から丁寧に畳んだバンダナを取り出す。

【日向マコト】宴会。彼は酒を飲んでいる。端っこで青葉シゲルの大きな声が
する。

【篠原ユミ】カラオケ屋で歌っている。やたら元気がいい。

【日向マコト】中学生のマコト。盗塁をしようとしている。リー、リー、リー。
ゴー!マコトは走る。すべり込む。「アウト!」二塁塁審のコール。

【篠原ユミ】美容院で働くユミ。お客さんに話しかけている。

【伊吹マヤ】廊下に立たされている中学生のマヤ。頬が赤い。

【青葉イト】縁側に座って、煙草を「呑んで」いる。空が高い。秋だ。秋は煙
草がうまい。

【青葉シゲル】明け方。寒さに震えながら、山の頂上で「インディアンの踊り」
をする高校生のシゲル。マコトが笑い転げている。

【向井先生】フォークギターを弾きながら歌っている、若き日の向井先生。黒
縁の眼鏡。曲はボブ・ディランの『くよくよするなよ』。

【篠原ユミ】夜の海辺で花火をする高校生たち。線香花火がさびしい。なにか
喋りながら花火をする日向マコトを、ユミは見つめている。

【青葉シゲル】先生たちに体育館の壁からひっぺがされるシゲル。向井先生は
暴れるシゲルの頭をスリッパでぱんぱん叩いている。

【伊吹マヤ】小学生のマヤ。国語の教科書を元気よく読んでいる。

【日向マコト】やっと買った中古のスカイラインにワックスをかけている。ユ
ミとのデートの前の日。

【篠原ユミ】小学生のユミ。砂防ダムの上。おそるおそる下を見下ろしている。
風が巻いている。

【青葉シゲル】マヤと一緒に砂浜で踊っている。マヤがあまりにかわいいので
抱き寄せようとする。その手をマヤがぴしゃりと叩く。

【日向マコト】ウェディングドレス姿のユミの、顔にかかったヴェールを両手
で上げ、キスする。

【篠原ユミ】幼いユミ。縁日だろうか。浴衣を着ている。

【日向マコト】10歳くらいのマコト。真新しいグローブを手に持っている。

【伊吹マヤ】大きなクマのアップリケのついたスカートで、お澄まししている。

【青葉シゲル】ハナを垂らした汚いガキである。しかし、目はいきいきと輝い
ている。



                                Evergreen.

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