僕の歌は君の歌




 篠原ユミは、小さな田舎町の理髪店の娘である。女の子ばかりの三人姉妹の
末っ子だった。姉たちはそれぞれ離れたところに嫁いでいる。
 べつに家が理髪店だから、美容師になろうと思ったわけではないらしい。
 幼い頃からぽっちゃりしていた。太っているわけでない。丸顔だし大柄だか
ら、どうしても、ぽっちゃりしているように見えるのだ。小さい頃はとても無
口な子だった。むしろ小学校三年の時に、大の親友になった伊吹マヤの方がよ
く喋る女の子だったという。
 彼女が変わったのは、中学校の時にソフトボール部に入ってからだった。肘
を痛めて、中学二年でやめてしまったけど、彼女は、明るい、にぎやかな女の
子に変わっていた。
 高校に入って、青葉シゲルと仲良くなったのは、篠原ユミがそんな性格だっ
たからかもしれない。ほとんど入学式のその日のうちに、冗談を言い合う仲に
なっていた。

 伊吹マヤはその頃、青葉シゲルと口もきけなかった。
「最初のころ、シゲルくんて、なんか怖い人だと思ってたの」高校三年の秋、
マヤはそう言って笑った。
 シゲルがマヤをいつ好きになり始めたのか、ユミには思い出せない。だいた
い、「ひとが恋におちる瞬間」なんて、他人にわかるだろうか?

 それから、何年かの時間が流れた。
 彼女は念願の美容師になって、故郷の小さな町の隣の小さな市にある美容院
で働いている。お金を貯めて、実家を改装し、美容院にするのが、とりあえず
の目標だった。

 二年ぶりの同窓会の後、シゲルとマヤ以外の面々は、田舎町の真ん中を通る
狭い国道沿いにあるカラオケボックスに行った。
 たまたま隣の席に座ったのが、日向マコトだった。
「どうしてた?」ユミは言った。
「うん、相変わらすだよ」マコトは答えた。
「あの二人、うまくいってるかな?」ユミは言った。海岸を散歩するんだ、と
言って二人で出ていった、シゲルとマヤの事を言っているのだった。
「さあ、・・・どうかな?」
「マコトくん・・・マヤちゃん、誘ってみたんだって?」
「な、なんでそんなこと知ってるんだよ」
 その時、篠原ユミが予約していた曲のイントロがかかったので、彼女はマイ
クを持って、歌った。最近はやっている女の子ばかりのグループの歌だった。
ユミは、やたら元気よく歌った。
「うまいじゃないか」マコトは言った。
「ありがと」

 二次会もお開きになった。
「ねえ、どうやって帰るの?」ユミはマコトに声をかけた。
「え、ああ。駅前でタクシーに乗って、帰ろうかと思ってるんだけど」田舎に
は流しのタクシーなんぞ存在しないので、駅前で拾うしかないのだ。
「じゃ、乗っていかない。あたし、車買ったのよ」そう言って、カラオケボッ
クスの駐車場に停めてある小さな車を指さした。

 赤い軽自動車に二人で乗っているのだった。
「酔ってないのかい?」
「だーいじょーぶ。あたし、お酒飲めないんだもん」
「飲めなくたって、飲んでるようにみえたよ」
「気のせい、気のせい」そう言って篠原ユミは笑った。

 車は国道をずっと走っていた。
「・・・なんで知ってたか、気になる?」
「え?」
「忘れたの?マヤちゃん誘ったの、あたしが知ってるって言ったこと」
「ああ、そういやあ、そうだよ。・・・伊吹が言ったのかい」
「うん」
「そうか」
「・・・ちょっと気落ちした?・・・気にしなくていいのよ。マヤちゃんね、
なんでも言ってくれるの。それも、デートの誘いを断ったとか、見合いを断っ
たとかばかり」
「へえ?」
「あの子も、ちょっと変わってるから・・・」

 会話が途切れた。
「・・・なんか、自分に言い聞かせてるみたい。『私は待っていない』『私は
シゲルくんを待っていない・・・たまたまデートを断っただけ』って。そんな
気がするのよ。マヤちゃんの顔見てると。だから、そんな時、言ってやるの、
独身だしまだ若いんだから、いろんな男の人とつきあってみたらいいのにって」
「それで?」
「そしたら、なんだか、困った顔してね、『でもここは田舎だし、すぐ噂にな
るし』だって。そんなこと、関係ないのにね」
「ふうん」

 車は日向マコトの住んでいる市に入った。
「ねえ、久しぶりだし、しばらくおはなししない?あたし時間は大丈夫だし」
 マコトが時計を見ると、11時過ぎだった。
「喫茶店は開いてないよな。どうする?」
「海でも見にいこうか?マヤちゃんたちみたいにさ」ユミは言った。
「うん」

 といっても、シゲルの町と、マコトの住んでいる市とは海辺が違う。マコト
の方はかつて遠浅の海岸だったのを埋め立てて、いまはだだっ広い空き地になっ
ていた。
 何もないところに車は停まった。
「・・・シゲルくん、変わらないね」
「うん。アイツほど進歩しない人間も珍しい」
「マヤちゃんも変わらないのよ。ほんとに。むかしっから、ああだったのよ」
「そうなの」
「うん、小中高、と一番仲よかったから。でもね。いつもはおとなしい子なん
だけど、ものすごく頑固なのよ。怖いくらい」
「そうなの?」
「うん。忘れもしないわ、中学校の時かな、山崎って、威張り散らすばっかり
の阿呆な先生がいて、なんだったか、マヤちゃんを叱ったのよ。ぜーんぜーん
勘違いしてね。誰が見ても、マヤちゃんは悪くなかったんだけど。他の子は、
そんなとき黙って怒られてやるの、その先生、そういうもんだって、わりきっ
てたのね」ユミは言葉を区切る。
「でもマヤちゃんは『私は悪くありません』って言い返したの。そしたらその
馬鹿山崎がますます怒ったの。怒ってマヤちゃんのほっぺた叩いたの。男のヒ
ステリーみたいだった。でもマヤちゃんは、『私は悪くありません』って。で
も、涙がぽろぽろこぼれるのね。それでもあの子、しっかりと立って、『私は
悪くありません』て」
「す、すごいな、なんか」
「でしょ。もしシゲルくんと結婚したら、絶対尻に敷くわね」
「あははははは」マコトは笑った。しかし、しばらくしてこう言った。
「・・・でも、そうなるのかな?・・・あいつら」
「・・・わかんないわね。なにか、きっかけがなくちゃ・・・」

 二人とも、それぞれの友達の事を考えているのだった。沈黙の時間が流れた。
不思議な事に、二人とも同時に、なんで、いま一緒にいる人の事ではなくて、
友達の事を考えているのだろう、と思った。

「あたしたち、友達の話ばかりしてるね」ユミはそう言って笑った。
 魔法のようだった。「あたしたち」という言葉が、時間と空間を切り取って
しまったみたいだった。突然、マコトは隣に、若い女の子が座っていることを
意識した。

 ユミは、車のラジオをつける。

『−ですよね。・・・次のお葉書は・・・えっと、横浜市の「ねるとん・じょ
ん」さんから。「エルトン・ジョン」の「僕の歌は君の歌」お願いします。お
ととし、二年つきあった彼女に別れを告げられて、ぼーぜんとしてるときに、
喫茶店のBGMでかかってた曲です。今もこの歌を聴くと涙が滲んできます。
どうか、お願いします』

「いいかげん、ふっきれよな、『ねるとん・じょん』」マコトは言った。
「うふふふ。そんなわけには、いかないもんよ」ユミが言った。

 静かなバラードが流れ始めた。繊細なメロディの、いい曲だった。英語の歌
だったが、言葉のひとつひとつが、心の中にしみこんでくるような気がした。
 しばらく、二人とも黙って、聴いていた。

「・・・わたしねえ」ユミがゆっくりと話し出した。
「・・・わたし、ときどき、すごく、寂しくなるときがあるのよ。つきあって
る人がいるとかいないとか、じゃなくて。そんなんじゃなくて、なんか、いて
もたっても、いられないような、胸が締め付けられるような、さびしい感じ。
・・・仕事は大好きよ。嫌なこともあるけど、好きで選んだ仕事だし、別に両
親と折り合いが悪いわけじゃない。でも、どういえばいいのかな、仕事終わっ
て、車に乗って家に帰るとき、窓の外は田圃ばっかり、何もないところを走っ
て帰るとき・・・」
 マコトは篠原ユミを見つめていた。
「・・・わたし、ここで生まれて、この小さな町で生きて、誰かと結婚して、
子供産んで、苦労して、そのうち死んで。そして、世間のほとんどの人はだれ
も『篠原ユミ』って女がいたことも知らなくて・・・」
 マコトはユミを見つめていた。
「・・・小学校の裏の山をずっと登っていくとね、砂防ダムがあるの。水の無
いダム。鉄の橋が架かっていて、見下ろすと、風がひゅーっと巻いてるのが見
えるようなの。・・・わたし、小学生の時、よくそこに行ってたわ。大嫌いな
場所なのに。怖くて、怖くて、足がすくむのに。いつもね、風がひゅーって渦
巻いているの・・・。わたしも死んだら、こんなふうに、風になって、渦を巻
くのかな・・・って」

 ユミは黙った。しばらくして、彼女は笑いながら言った。
「ごめんなさい。わたしったら、変な事言っちゃって。あー、どうしたんだろ」
 マコトは黙っていた。
「・・・どうしたの?」
「・・・変じゃないよ。ちっとも変じゃない。よくわかるよ、そんな感じ」
「・・・ありがとう、やさしいね、マコトくんは、・・・昔から」

 二人は、家に帰った。
 シゲルは東京に帰り、また同じような日々が戻ってきた。ユミは美容院で、
マコトは市役所で働いた。判で押したような毎日だった。

 マコトは、ユミに電話するようになった。
 特に用事も無く、あれこれ高校時代の思い出を話した。もちろん、話題の中
心は、青葉シゲルのバカな言動の数々だった。
 時たま、ドライブに出かけた。
 秋が来た。二人で紅葉を見に行った。
 会う度に、何か、発見があった。

 篠原ユミという女性が、会う度に、可愛く見えてくるのはなぜだろう、マコ
トは思った。
 日向マコトという男性が、会う度に、いとおしく思えてくるのはなぜだろう、
ユミは思っていた。

 マコトの車でユミを家まで送る。なぜか別れたくない。いつでも会えるのに。
二人は車の中で、長いことキスした。

 ユミは両親にマコトを紹介した。マコトはユミを両親に紹介した。

 二人は、ひとりでいるとさびしいので、ずっと一緒にいることにした。

「マヤちゃん、わたし結婚することにしたのよ」電話でユミは言った。
「えーっ。おめでとう!で、いつ?」
「年が明けたらすぐ」
「えー、そんな急に?」
「うん、なんだかパタパタって決まって。それでね、ぜひ、相手の人に会って
ほしいのよ」

「いい、ベタベタって感じじゃないのよ。あの子カタブツだから。こう・・」
「うーん。難しいなあ」
「言葉でいいの。思いつく限り、歯の浮くような事言うのよ。わたしも調子合
わせるから」
「うん、やってみる」

「あれ、なんで日向君、ここに?」マヤは、喫茶店に入ってくるなり言った。
 まるで絵に描いたように事が運んでいるのだった。
「ま、座ってよ、マヤちゃん。何にする?」
「ミルクティー」マヤはウエイトレスに言った。

「いったい、いつから、つきあってたの?」マヤは目を丸くしていた。
「同窓会の夜からよ」ユミは言った。
 マヤは、ふいに、シゲルと、海辺で過ごしたひとときの事を思い出した。

「あれから、ユミと海へ行ったんだ。そしていろんな話をしたんだ。そしたら、
なんだか、お互いの事がすごくわかってきたような気がしたんだ。高校から一
緒に遊びに行ってたくせに、ぼくはユミの事をよくわかっていなかったんだ。
いつも明るいけど、ほんとは寂しがりやだってこととか」そう言って、マコト
はユミを見た。ユミは目を輝かせてマコトを見上げた。そして、自然な、暖か
いほほえみを浮かべて言った。
「マコトは、わたしがずっと思ってたとおりの人だってことがわかったの。や
さしいひと。この世界でいちばんやさしいひとって思えたの。わたしのことを、
そのままで、やさしく包み込んでくれるって感じかな」
「へえ・・・」マヤはつぶやくように言った。
「あるとき、ぼくは、ユミと離れて暮らすことに耐えきれなくなったことに気
がついたんだ。ぼくは、貯金も何もない。給料も安い。でも二人でいっしょに
生きたかった。次の夜、ぼくはユミに正直にそう言って、プロポーズしたんだ
よ」
「わたしは、『はいはいっ』って二つ返事しそうになって、困ったわ。だって、
うれしかったんだもん!この世で、本当に、自分が必要としている人に、プロ
ポーズされたのよ!その人はおまけに、この世で一番わたしを必要としてるっ
て、言ってくれたのよ」
「へえ・・・」マヤはつぶやくように言った。


「なんだよ、野球少年!電話遠いぞ!」シゲルは受話器の向こうで叫んでいた。
「だ・か・ら、結婚するんだよ!耳遠くなったのか?」
「へー。そらまた」
「そらまた、なんだよ」
「ご愁傷様で」
「ありがとよ、ブルースマン。式は1月15日だ」
「成人式の日じゃねーかよ」
「悪いかよ。その日がちょうど都合がいいんだ。当然出席してくれるだろ」
「あたりまえだ。武道館のリサイタル、ドタキャンだな」
「そら、全国五千万のファンによろしく言っておいてくれ。・・・それよりお
前、きかないのか?」
「何をだよ。日にちは聞いたし、時間と場所なんか、前の日に帰るから、お前
からききゃいいだろ」
「・・・よかった」マコトはわざとため息をついた。
「・・・なにが、よかったんだ?」
「まあ、いいじゃないか。・・・帰って来たときに、ゆっくり話そう。また山
のてっぺんで歌、うたうか?」
「なにが、よかったんだ?」シゲルは繰り返した。
「いや、相手、聞かれなくて、さ。ま、シゲルくん、人生、いろいろ、あるか
らね」
「・・・」シゲルは黙った。
 なんて、考えてることが、わかりやすいやつなんだろう!マコトは思った。
「しかし、あれよあれよって決まったんだ。同級生だから、やっぱり話は早かっ
たなあ。えっと、新居はね・・・あれ。シゲルくーん?聞いてる?」
「き、聞いてるよ」声が妙にこわばっていた。
「じゃ、頼むよ。そうそう、もちろんギターもって帰れよ。一曲歌ってくれる
よね?僕たちのために」
「ああ、『ボクタチ』ね。・・・ああ、いいよ。『てんとう虫のサンバ』でも、
なんでも、歌ってやるよ」
「じゃ。俺とお前だから、改まって招待状ださないからな。忘れるなよ」マコ
トは電話を切った。

「ちょっと可哀想だったんじゃない?」すぐとなりにいたユミは言った。
「あのバカには、あれくらいのショックが必要なんだ」マコトは答えた。





おわり

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