今夜の君は



 日向マコトは、地元の高校ではなく、隣町の高校へ行った。理由は二つあっ
た。一つは地元の高校の野球部は弱かったこと。もう一つは中学の進路面談の
時に、担任に地元の高校は落ちる事もあり得るから、隣町のほうを受けてみる
か、と言われたこと。
 後者の方の理由が強かったかもしれない。けっして頭は悪いほうではなかっ
たが、成績が悪かった。無理もない。中学は3年まで野球ばかりやっていたの
だ。とにかく彼は隣町の高校の、商業科に入った。
 そして野球ばかりやった。野球部のレベルは、県大会の2回戦以上に上がっ
たことがないといったレベルだった。

 最後の県大会が終わった後だろうか、青葉シゲルと仲良くなったのは。同じ
クラスだったから、前から知っていたが、おそろしく変わっていて面白い奴、
という印象しかなかった。

 仲良くなるきっかけになったのは、伊吹マヤという、地味で、目立たない女
の子の存在だった。この子もまた、同じクラスだし、もちろん名前も知ってい
たが、夏の終わりまで、口もきいた事がなかった。
 青葉シゲルはどうしたことか、この伊吹マヤが好きだった。クラス全員が知っ
ていた。伊吹マヤがそれを迷惑がっていることも知っていた。(ある意味で、
伊吹マヤは「有名」だっかもしれない。「あの(アホの)青葉が好きな女の子」
ということで)。

 青葉シゲルは、日向をダシに使って、篠原という伊吹と仲のいい女の子と、
4人で海に泳ぎに行くという計画を立てたのだ。当時篠原ユミは日向に少しだ
け熱を上げていたので、芋ずる式にマヤもやってくると思ったのだ。

「だから協力してくれよぉ、野球少年」校則を遥かに越えて髪を伸ばしたシゲ
ルが言うのだった。突然家に訪ねてきたのだ。
「なんで、おれがお前に協力しなきゃならないんだよ」坊主頭がようやく伸び
始めたマコトが抗議した。
「だからさ、お前もうまくいきゃカノジョ出来るかもしんないぞ!・・・ほら、
あの篠原、15メートルくらい下がってみろ!・・・可愛く見えない事もない
ことはないぞ、野球少年」
「なんちゅう言い方なんだよ、それ。・・・それに『野球少年』ての、やめろ
よ、自分をなんだと思ってるんだ」
「おれか・・・、おれは『ブルースマン』だ」青葉は胸を張って言った。

 けれども、その作戦は、意外な事に、成功したのだ。
 マコトは約束の朝、鈍行列車に乗っていた。たぶんアイツだけ一人寂しく乗っ
てきて、「だめだったよ、男二人で海行くか?やけくそでさ」とでも言うだろ
うと思っていた。
 しかし、彼らが住んでいる町の無人駅に列車が停まったときに、シゲルと、
妙にはしゃいでる篠原と、怒ったような顔をしている伊吹がぞろぞろと乗って
きたので、心底たまげた。

 伊吹マヤは白い、ノースリーブのワンピースを着ていた。私服の伊吹マヤを
見るのは初めてだった。しかし、いつも髪を短くして、石鹸の匂いをさせてい
るような伊吹マヤが着ていると、それが高校の制服のように思えた。

 汽車で20分。青葉の独演会だった。確かに面白い男だった。日向マコトと
篠原ユミは何度もぎゃははははは、と大笑いした。伊吹マヤはむっつりとして
いた。しかし、時折、凄く面白いギャグを青葉がとばした瞬間、窓の外を向い
た。背中が震えている。笑いをこらえているみたいだった。なんで笑いをこら
えるんだろう、という疑問よりも、その仕草が妙にかわいらしく思えた。

 田圃がとぎれ、ごつごつした岩山のトンネルをすぎると、夏の輝かしい海が
広がっていた。
 ものすごくいい天気だった。青葉が言うには、テルテル坊主を500個マヤ
のために吊していたそうだから、彼のおかげかもしれない。

 またまた無人駅で降りると、しばらく海に向かって歩く。
 道が狭いし、交通の便がよくないので、その海水浴場はいつ行っても空いて
いる。真夏だというのに、それもとびきり暑い日だというのに、人はまばら。
「さー、着替えようぜ!」シゲルが叫んだ。

 男の子が二人、熱い砂の上に立っている。
「だから、なんで二本のビーチパラソルをこんなに離して立てるんだよ!」マ
コトが言った。
「なあ、野球少年、きみは、話の筋が見えていないのか?四人で仲良く丸くなっ
て座るのも、いいだろうさ、海に来て神経衰弱でも、百物語でも、したってい
いさ。でもおれは、マヤ、マヤ、マヤ、とデエトしに来たんだ。お前は篠原と
よろしくやれ。以上」
「・・・以上って、おい・・・」

「なに悪巧みしてんのよ」篠原の声がした。
 振り返ると水着を着た女の子が二人、立っていた。マヤは、黄緑色ギンガム
チェックのワンピースの水着を着ていた。篠原ユミは大人っぽい黒の水着。
「見とれるなあ、マヤ。かわいいよ、それ。すごく似合う」シゲルはすぐさま
言った。そんなことがすんなり口に出来て、イヤミじゃないシゲルをマコトは
羨ましく思った。
「ばか。お世辞言わないで」マヤはそっぽを向いたけど、どこか恥ずかしそう
だった。

 一悶着あったけど、シゲルとマヤ、マコトとユミがそれぞれパラソルの下に
座っている。シゲルたちはマコトたちより、より海に近い方に座っていた。
 シゲルが何か一生懸命話かけるのを、マヤがぽつりぽつりと答えている感じ。

「・・・青葉ってばかね」隣に座っているユミが言った。マコトはユミを見た。
ユミはマヤよりちょっと背が高く、だいぶぽっちゃりしていた。胸はずっと大
きい。マコトはなんだかその黒い水着がまぶしかった。
「うん、アイツはバカだ」
「そう言う意味じゃないのよ。アイツなんでマヤちゃんにちょっかい出してる
んだろ、ていう意味」
「・・・なんで?」
「案外、青葉って女子に人気あるのよ。だいいち面白いし、結構やさしいとこ
もあるし。声かければ、すぐにカノジョになる子、何人でもいると思うのに。
よりによってマヤちゃんみたいな性格正反対の、ガードの堅い女の子、好きに
なるなんて」
 へえ、そうか。マコトは思った。

 さんざん泳いで、遊んで、夕方になった。
 着替えて、さあ、帰ろうという段になって、シゲルは、花火やろうぜ、と言
い出した。
「ばーか、青葉、遅くなるじゃない」篠原が言った。
「花火しようよ、花火ぃ花火ぃ」シゲルは子供の真似をして地団駄を踏んでみ
せる。
「どうする?」マコトはマヤに話しかけた。
「え・・・、うん」意外な事に、マヤはうなづいた。
「ほれみろ、ばかもんども。マヤもああ言ってる。花火やって帰ろう!」

 ひゅー。ぱん。
 ばちばちばち。日の落ちたばかりの海水浴場の片隅で、四人の高校生は大ま
じめでスーパーで売っているような花火をやった。
 遊び疲れて、日に焼けて、火照った身体に、花火の色とりどりの光が心地よ
かった。

 暗くなった。青葉は今度は踊ろう、と言い出した。
「・・・汽車の時間は大丈夫。最終10時何分だから」マコトは言った。
「そんな遅くまで海水浴場にいたら、バカかと思われるわよ」今度はマヤも反
対した。
「なあ、踊ろうよ、田舎の若人のキミタチ、星も降るようだしさ」
 確かに星は凄かった。目に突き刺さるようだった。
「一曲だけ。・・・ね。それでいいだろ、おれ、この一曲だけ、マヤと踊りた
くて、家からラジカセ持ってきたんだぜ」
 そう言って青葉は、じゃらじゃらとアクセサリーを付けたスポーツバッグの
中から、小さなラジカセを取り出す。
「ね、・・・おねがい。おれさ、夢だったんだよ」
「ささやかな夢ね」あきれたように言うマヤの声。

 ロックバラードだった。三人とも聞いた事がなかった。切ないメロディだっ
た。なんとも言えない、声だった。
 マコトはユミと組んで、デタラメなステップを踏んでいた。
 シゲルはマヤを抱き寄せようとして手を叩かれ、神妙な顔つきになっている。
 その曲は、暗くなった海岸に、優しく響きわたった。暖かさがのこる砂の感
触が、心地よかった。
「・・・そうだ、裸足でダンスしよう」シゲルは履いていたサンダルをけっ飛
ばした。マヤも、おずおずとサンダルを脱いだ。

 帰りの鈍行列車の中、シゲルは三白眼の目をウルウルさせながら、言った。
「あれは、エリック・クラプトンて、おれの尊敬する男の歌だ。『Wonderful 
Tonight』って言うんだよ。・・・マヤ、今夜の君は、素晴らしい」
「・・・もう」伊吹マヤはうるさそうに答える。
「なに一人でもりあがってんのよ、青葉」篠原が言った。

 日向マコトは、なにも言わなかった。
 ただ、窓の外を夢見るように見ている、ショートカットの髪の女の子を見つ
めていた。
 その通りだよ。シゲル。なんでお前がこの子を好きなのか、わかったよ。

 今夜の君は、素晴らしい。

 

おわり

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