ソング・フォー・ユー




 伊吹マヤは、町に一つしかない高校を卒業してすぐに農協に就職した。勤め
だして6年になる。今年の暮れには25才になる。
 25才で独身といえば、この田舎町では「いきおくれ」と言われる事が多い。
都会と違って、女性の結婚適齢期が早いのだ。
 東京にでも就職していたら、目立つこともなかったのに。マヤは思う。農協
の中でも、家でも、ことあるごとに「マヤちゃん、まだお嫁にいかないのか」
と言われ続けてきた。
 別に結婚を避けているわけでもないし、結婚できない事情なぞ、あるわけで
はない。両親は農業。東京の私大に行っている弟が一人。父は民生委員をやっ
ていて、この町ではごく普通の家で通っている。

 見合いもしたことがある。まるで、テレビドラマみたいだった。自分の事だ
とは思えなかった。相手の人は、電力会社に勤めてる三つ年上の人。何度か会っ
たが、話を持ってきた親戚のおばさんに頼んで断った。
 気に入らないところがあったわけでもない、とても真面目そうな人だった。 
しかし、この人と結婚して、仕事を辞め、同じ屋根の下で寝る自分が想像でき
なかった。

 ある日の午後、職場に電話がかかってきた。

「はい、お電話かわりました。伊吹ですが」
「あ、マヤちゃん。・・・おれだよ、日向、3年B組で一緒だったろ」
「ああ、マコトくん。久しぶり、どうしたの?」
「いや、ほら、青葉のやつが、この盆に帰って来るんだ。でね、同窓会をやる
ことになって」
「シゲルくんが・・・同窓会?・・・おととし、やったとこじゃない」
「だから、その時は青葉がいなかったろ?あいつから電話がきてね、『おれが
いない同窓会なんかみとめん、やりなおせ』って」
「シゲルくんらしいわね」マヤはあきれたように言う。

 町を分断するように走っている国道沿いの喫茶店で、日向と会った。
「会場は、前と同じでいいだろ?」
「うん、じゃ、女子には、あたしから往復葉書出しておくから。それより向井
先生は?」
「え・・・、青葉がね、『担任呼んだら殺すぞ』だってさ」
「シゲルくんらしいわね」マヤは言った。
 そんなマヤを、この町の隣にある小都市の市役所に勤める日向マコトが見つ
めていた。マヤちゃん、おととしより、女らしくなったな。結婚しないんだろ
うか?恋人は?
「ねえ、今度、どっか行かない?」マコトは誘ってみた。
「う、うん・・・、私もいろいろと忙しいから」マヤは微笑んでみせる。

 とにかくその日はやってきて。
 青葉は、すり切れたジーンズでやってきた。髪は高校の頃より長くなってい
た。そして、なぜかギターを抱えている。
 担任の先生もいないので、堅苦しい挨拶は抜きで、宴は始まった。
 マヤは仲のよかった女の子のグループの真ん中に座って、楽しそうに話して
いた。一人だけ幼児を連れてきた女の子がいて、その話題で盛り上がっていた
のだ。
「わあ・・・かわいい!・・・ぼく、いくつ?」マヤは子供が大好きなので、
その小さな男の子に話しかける。
「ぼく26ちゃいになりまちゅー」頭上でふざけた声がする。
 見上げると青葉シゲルが目の前に立っていて。
「・・・そう、大きくなっても子供でちゅね」マヤは素っ気なく言った。
「はははは、なあ・・・こっち来いよ、マヤ。おれは君に会いたくて過密スケ
ジュールをぬって、こんな田舎に帰ってきたんだぜ」
 マヤは答えなかった。

「なーにいってんの、青葉、あんた、ほんとに相変わらずバカねえ」マヤと一
番仲のいい、篠原ユミという女が言った。
「ばーか、篠原、おめーに話してるんじゃねえよ。三年間、おれとマヤとの間
をじゃましやがって」シゲルは大きな声で言った。日向は、そんな青葉を無視
している伊吹マヤを、ぼーっと見ていた。

「・・・CD出したんだよ」とうとう、マヤはシゲルの横に座る羽目になった。
同窓会はすごく盛り上がっていたけれど、この二人のまわりだけ静かな感じが
した。
「そう」
「これ」青葉シゲルは、あるCDをマヤに手渡した。それは、聞いた事もない
ような歌手のCDだった。
 マヤはそのCDを手にとって、しげしげと見てみる。
「シゲルくんの名前、書いてないわ」
「あーと、6曲目と10曲目で弾いてるんだ。どこにも書いてないけどね。そ
れ、やるよ」
「ありがと」マヤは言った。

 お開きになった。
「おれは伊吹マヤと、海岸を散歩するんだ。どいつもこいつも邪魔するなよ」
青葉シゲルは叫んだ。
「ほら、みんなさっさと二次会でもカラオケでも行けよ、田舎の青少年諸君」
 元クラスメートたちは、また始まったかという顔で、いやがるマヤの肩を抱
こうとするシゲルを笑いながら見ていた。

 結局、海岸を散歩しているのだった。
 誰もいない、夏の夜の海が広がっている。沖に船の明かりがちらちらと見え
た。
 マヤは、ギターを抱えたシゲルの後を歩いている。
「座ろうぜ」シゲルは、砂の上の流木に腰掛ける。マヤは座らなかった。

「怒ってるのか?」シゲルは訊いた。
「怒ってるわ。あの卒業式と同じくらい」マヤは言った。
 あの卒業式とは、青葉シゲルが、卒業式にわざと遅刻して来て、どうやって
登ったのか、体育館の一番上の窓をがんがん叩き、「マヤー!」と叫んだ事を
指している。
「おれは、最後に、おれの気持を伝えたかっただけだよ」シゲルは言う。
「・・・死ぬほど恥ずかしかったわ、・・・まったく」
「『卒業』って映画、テレビで観て、いっぺんやってみたかったんだ」
「そんなの、単なるバカじゃない」

 マヤはシゲルの横に座っている。
 なぜ青葉シゲルが伊吹マヤに、(本人が言うには)恋に落ちたのかは、当時
の県立○○高校の七不思議だった。
 違いすぎるのだ。マヤは、目立たない地味な女の子だった。シゲルは自己顕
示欲が服を着ているような少年だった。彼が破らなかった校則は無いと言って
よかった。

「あなたみたいなタイプは嫌いって何度も言ったのに」マヤは言った。
「わかってるよ。うん。嫌いだろうな」シゲルは言った。
「私がいったい何の罪で、こんな目にあわなきゃならないのって思ってたわ」
「うん。そうだろうな」

 シゲルはギターをつま弾きだした。
「おれはね、一万人も集めるミュージシャンになるんだ」シゲルはゆっくりと
喋りだした。マヤは答えず、海を見ていた。
「コンサートは凄い興奮のうちに終わって、アンコールだ。客は床を踏みなら
したり、手を振ったりして、おれがまた出てくるのを待ってる。・・・しばら
く時間が流れる。おれは生ギター一本抱えて出てくる。・・・もう天井が吹き
飛ぶような歓声だ。・・・真ん中にイスが一つある。おれは座り、ギターを弾
き出す。・・・バラードみたいだ、おれのファンは一瞬にして水を打ったよう
に静まりかえるんだ・・・。そしてね、おれは歌い始める。君のために。一万
人の観客のためにじゃなく、君だけのために」

 シゲルは歌い出した。
 バラードだった。英語の歌だった。マヤはその歌を知らなかった。シゲルは
ややかすれたような声で歌っている。
 不思議だった。彼が背にしている暗い海が、静まり返った無数の観客の頭に
見えてきた。胸の奥がきりきりと痛むような感じがしてきた。
 シゲルはずっと下を向いていたが、最後の「Song for you...」という歌詞
のところで、マヤをじっと見つめた。

「・・・どうだった?」
「・・・」マヤは答えなかった。
「どうしたんだい?」シゲルはマヤに近寄った。
「近寄らないで!」マヤは震えていた。感動で震えていたのだ。涙がこぼれそ
うだったのだ。
「マヤ・・・じっとして」シゲルは、ギターを砂の上に置き、マヤの小刻みに
震える両肩に手を置いて、彼女にキスをした。

「・・・きらい」マヤは言った。
「うん、・・・そうだろうな」シゲルは言った。

「・・・でも泣ける歌だろ?・・・レオン・ラッセルという人の歌なんだ」
 シゲルは皺だらけのバンダナをマヤに貸してやった。
 マヤはハンカチを持っていたけれど、それで涙を拭いた。


 その町には無人駅が一つ。電化はされていない。
 朝。シゲルは誰もいないプラットホームに立って、ディーゼル列車が来るの
を待っていた。
 誰かがぽんと背中を叩いた。
 振り返るとマヤがいた。
「ほら、お情けで洗濯してあげたわよ」マヤは四角く畳んだバンダナをシゲル
に手渡した。洗濯して、アイロンがかけてある。朝早く起きて、したんだな、
シゲルは思った。
「今度は、いつ帰れるか、わからないんだ」シゲルは言った。
「そう」マヤはそっけなく答えた。
「やれるとこまで、やってみたいんだ」
「そう」マヤはそっけなく答えた。
 たった二両編成の鈍行列車がやってきた。
「じゃあな」シゲルはギターケースとバッグを一つさげて、それに乗る。

 シゲルは窓から、ホームに立っているマヤに手を振った。
 マヤはあかんべえをした。かわいかった。

 マヤが、いつしか手を軽く上げて、振っていた。小さくなって、見えなくなっ
た。

 シゲルは、そのきちんと畳んだバンダナを手のひらの上に載せている。マヤ
が、畳の上で、バンダナにアイロンをかけている光景が浮かんだ。
 あるべきものが、そこにあるという感じだった。

 シゲルはバンダナをバッグの中に大事そうに入れ、ファスナーを閉めた。



おわり

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