アスカの「転校生」



          第1章 その途方もない発端

「初号機、弐号機ともにパイロット異常無し。使徒自爆により完全に消滅しま
した」日向がモニターを見ながら叫んだ。
「見事なユニゾンだったわね。葛城一尉」リツコはミサトに声をかける。
「あの二人よくやったわ。同居しだした最初はどうなることかと思ったけど」
ミサトが応じる。
 作戦本部の中央モニターには、もつれ合った初号機と弐号機からそれぞれエ
ントリープラグが排出されてシンジとアスカが出てくる様子が映し出されてい
る。
「なんで最後の最後になってずれるのよ」
「アスカだって失敗したじゃないか」作戦本部内に二人の声が響く。
 最初に気がついたのはマヤだった。振り返り、問いかけるような視線をミサ
トに向ける。
「なにふざけてんのヨ。二人とも」ミサトは二人のパイロットに向かって言っ
た。
「ふざけるって、なにがよ・・・あれ?」モニターの中で青いプラグスーツを
着た少年が自分の体をしげしげと見ていた。
「アスカ!ぼ、ぼく・・・ムネが出てる」赤いプラグスーツを着た少女が自分
の胸を押さえながら叫んでいた。
「二人して担ごうとしてるんでしょ。いつの間にそんなに仲良くなったの?」
ミサトは笑ってみせようとした。
「ばかーっ、あ、あたしの身体に触れないで!」シンジが手を振り回して叫ん
でいた。
「み、ミサトさん、これいったいどういう事なんですか。なんでぼくが・・」
アスカが叫んでいる。
赤木リツコは思わずその端正な顔をゆがめて言った。
「・・・悪夢だわ」


         第2章 その悲惨な状況

本部に帰ってきた二人をミサトとリツコが出迎えた。シンジは怒りと恥辱から
紫色になっている。アスカは顔を赤らめてもじもじしていた。
「だからぁ、その胸の前で手を組むのやめなさい!このすっとこどっこい!顔
が可愛いあたしじゃなきゃひっぱたいてやるところよ」シンジが低い声で言う。
「だって、胸がなんか変な感じなんだよ。こう・・・なんとなく重くて」アス
カは視線を下げた。
「下見ないでってば、見ないで、変態!想像したでしょ!変な想像したでしょ」
シンジがわめきちらす。
「お願い・・シンジ君」
「なによミサトまで、あたしのことをシンジって呼ばないで!」
「・・わかったから、<アスカ>。シンジ君の姿をして女言葉できゃあきゃあ
いわないで」
「女言葉で何がわるいの、え?わたしは女の子なんですからね!」どこか碇司
令の面影がある、14歳の少年が目にうっすらと涙を浮かべてミサトの目を見
上げた。ミサトはあわてて視線を逸らした。吹き出すかもしれなかったからだ。
こんな状況で二人を笑ったりしたら。想像するだけでおそろしいわ、まだ使徒
の方がまし。彼女は汗を握りしめていた。
「とにかく分析医の診断を受けてちょうだい。一時的な・・・錯乱かもしれな
いから」リツコが取りなすように言う。長年のつきあいでミサトには彼女も笑
いを堪えているのかわかる。
 シンジがきっとリツコを睨みつける。何か言おうとするの制してアスカが言
う。
「リツコさん・・・ぼくたちは・・・その、錯乱はしていないと思います。ぼ
くは変な感じがするだけで、冷静だし、<アスカ>は怒ってるだけで」アスカ
はそういった。
「そうね、脳波は正常だし、精神汚染ではないのははっきりしてるわ。前代未
聞だけど絶望するような状況じゃない。あんがい、ふたりとも一日寝れば直っ
てるかもヨ」ミサトが言う。
「シンジ、あ、ごめんなさい、<アスカ>。どうしたのもじもじして」リツコ
が急に黙り込んだシンジに向かって言った。
「・・・・イレ」
「なんていったの」
「・・・トイレに行きたいの」少女の人格を持った少年が消え入るような声で
言う。
 その場にいる全員が凍りついた。


         第3章  赤木リツコの推測と意見

「映画のパロディじゃあるまいし、精神が入れ替わることなどありません」
「ではなんだというのかね。どう見たってシンジ君はアスカに、アスカはシン
ジ君になったようだが」冬月は冷たく言い放つ。
 赤木リツコは薄い書類挟みを冬月と碇ゲンドウに配る。
「医療部で催眠療法を試してみました。結果を要約すると、彼らの現在の人格
の『下』に本来の人格が存在しています。そして現在の人格ですが」リツコは
まるで効果を高めるかのように一度言葉を切る。
「奇妙な事に今の入れ替わった人格は、自分自身に関してここ何ヶ月かの記憶
しかないのです」
「つまり模倣か」さすがだわ、司令。リツコはゲンドウの目を見ながら言った。
「そう思われます。そして原因は使徒の自爆時に0.002秒間のフィードバック
異常が起きたこと。これは記録に残っています。ここからが推論になるのです
が、合体した使徒にどどめ指した瞬間にわずかですがユニゾンが乱れています。
その時パイロットは極度の緊張状態に陥っていました。そしてフィードバック
異常が一瞬おき、人格の崩壊を起こすほどの致死的な量の情報が逆流しようと
しました。彼らの本来の人格は破滅を回避するために外部との接点を遮断し、
もう一つのまったく別の人格を分裂と模倣によって作り出しました」
「それが、彼らの今の人格だというのかね。しかしそんなにコロコロと取り替
えがきくものなのか、人格というやつは」
 一度あの狭いエントリープラグに入ってA10神経を接続してみたら・・・
そしたらチルドレンのおかれていた状況が少しでも理解できるだろうに。リツ
コは冬月を見やる。
「フィードバック異常前後の初号機と弐号機との通信内容は」ゲンドウが低い
声で言った。
「2〜30億ワードの一見デタラメなデータがやりとりされています。現在M
AGIで解析中です。もちろんチルドレンはエヴァの助けを借りで相互に人格
の多重化を行った可能性があります」
「なるほど。調査を続けてくれたまえ・・・・・。それで彼らが直るみとおし
は」
「精神分析チームによると現在の入れ替わったようにみえる人格は極めて不安
定であり、なにかショックを与えると消滅し本来の人格に戻る可能性が高いと
のことです」
 司令と副司令は明らかに安堵したようだった。
「・・・・これでいま使徒がきたら、シンジをどっちのエヴァに乗せればいい
んだろう」ゲンドウはぼそりと言った。
 リツコは用意してきた見解を述べようとして、ふと思った。これって司令、
冗談のつもりかしら?


         第4章 その目を覆うばかりの日常生活

「お願いだからひとりでトイレぐらい入ってよ」めずらしくミサトが弱音を吐
いた。
「いや、絶対。わたしにこんなことやれっていうの?」シンジ<アスカ>がミ
サトの頭の上から切なげに言う。
「男の子はみんなしてるわよ」
「だから、気持ちはうら若き乙女なんですからね」
 た・の・む・か・ら、シンジ君の声でそういうせりふをいわないでよ、とミ
サトは思った。
「ねえ、あいつは我慢してるのかなあ」
「え」ジッ。ミサトはシンジのズボンのチャックを上げながら上を向いた。
「もうマンションに帰ってから2時間もたつし。そろそろじゃない」
 ミサトは中腰の姿勢から身体を起こし、シンジの顔を見下ろして言った。
「・・・・で、わたしにどうしろ、と?」
 その時トイレのドアをアスカがそっと叩く。
「ぼくトイレに行きたくなったんだけど・・・・いったいどうすればいいんで
すか?」

  * * * * * * *

「なんでぼくがバンザイして寝なきゃならないんだよ」アスカは両手をハンカ
チで縛るシンジに言う。
「寝てる間に変なとこ触らないようによ」
「そ、そんなことしないよ」
「無意識ってことがあるじゃない」
「じゃあ、アスカだって無意識にぼくのへんなとこ触るなよ」
「あ、あんたばかぁ?なんでわたしがそんなことしなきゃならないのよ!」
「無意識ってことあるじゃない、ていったの自分じゃないか」


       第5章 その心優しきクラスメートたち

「あ綾波!?」アスカはマンションの玄関で言った。
「おはよう。ミサトにたのまれたの。出来るだけのことはしてやれって。どん
なことをすればいいの?」
 アスカは答えず顔を真っ赤にしてレイを招き入れる。台所ではシンジがパジ
ャマのままで食パンを囓っていた。
「おはよう、碇君」レイはシンジに声をかけた。
「言っときますけどね。ファースト。わたしは心はアスカなの。だからアスカ
って呼んで」シンジはレイを睨みながら言った。
「わかったわ」
「<アスカ>、綾波はわざわざ学校を休んできてくれたんだぞ。そんな言い方
やめようよ」アスカは取りなすように言う。
「あーら、えらく肩もつじゃない」シンジが言う。
 二人のやりとりを見ていたレイがぽつりとつぶやいた。
「・・・・・聞いてはいたけど、やっぱり変ね」

  * * * * * * *

「ピンぽーん。ピンぽーん」インターホンから大阪弁のドアのチャイムが聞こ
える。
 しゅぱ。
「どや、センセ・・・あ、綾波。なんでお前がここにおるんじゃ?」
「遊びに来てるの」
「はーぁ、遊びにねえ・・・・」
 トウジとケンスケが部屋の中に入ってくる。
「3人そろって学校を休んで、いったい何をやってるんだい。作戦会議?」ケ
ンスケはシンジに向かって話しかける。
「そんなんじゃないわよ、この取り込んでる最中に、もう」シンジが言う。
 狐につままれたような顔をするケンスケ。
「いや・・あの、シンジ君。わ私の真似するのやめてよ・・・なんちゃって」
アスカは思わず立ちあがって言う。
「なんじゃあ?惣流。さいごの『なんちゃって』はなんやねん」
「なんでもないよ。ふざけてるだけさ。はははは」シンジはまるで宝塚歌劇団
の男役のようなおかしな抑揚をつけて言う。
「だぁー。けったいなものの言い方すなーっ」
「そうよ。シンジ君。おかしいわよ」アスカが言う。
「なんや惣流も。なんでここで『あんたばかぁ』が出ーへんねん?」
「惣流はそんなに口が悪くないと思うよ」とシンジ。
「せやからそのわざとらしいものの言い方やめーっ」

  * * * * * * *

 いぶかるトウジとケンスケを追い出すように帰した時はもう5時を回ってい
た。
「おなかすいたなあ」アスカが言った。
「じゃあ、なにか買ってきてよ」シンジが言う。
「やだよ、あの二人がひょっとして待ち伏せしてたりしたら・・・・。ごまか
し通す自信がないよ」
 シンジは突然アスカの喉元に指を突き立てるようにして言う。
「もしやあんた、あの二人にばらして楽になりたいなんて思っていないでしょ
うね?」
「そんなこと思ってもみなかったよ」
「いまだったら、あたしの写真撮り放題だもんね・・・・」シンジはどす黒い
連想に見る見る頬を赤く染めて怒り出す。
「どんな恥ずかしいカッコでもさせられるもんね。じ自分の身体だから」
「バカなこというなよ!ぼくだって恥ずかしいよそんなことしたら」アスカは
無意識にスカートの裾を直す。
「あいつらにばらしたら殺すわよ」
「自分の身体だろ!殺してどうするんだ」
「私が行くわ」レイが突然席を立つ。
「何か食べるものかってくる」レイはすたすたと玄関まで歩いて行く。
「いいとこ、あるじゃんファースト」シンジが言う。
「ありがとう、綾波」アスカも声をかける。
「私もおなか、空いたから」とレイが外へ出ていく。


         第6章 <アスカ>の論理的解決策

 午後7時。二人が自分でトイレに行けるようになると、レイは帰っていた。
 午後9時。ミサトから電話がありハーモニクス試験システムを改良して二人
を「治療」出来ないか試してみるとのこと。
「今日は徹夜になるかもしれないわ。いつになるとはいえないけど、明日準備
が出来たら迎えの車をよこすから、家にいてね」とミサト。
「頑張ってくださいね」とアスカ。
「大急ぎでやってね!絶対」とシンジ。

  * * * * * * *

「<シンジ>・・・」シンジが、お茶を飲みながらテレビを見ているアスカに
声をかけた。
「なんだよ」
「昨日お風呂に入らなかったわよね」
「うん・・・・だって<アスカ>が絶対だめだって・・」
「今日入ってよ。二日も入らなかったことドイツでもなかったし・・・」
「いいけど・・・いいの」アスカはシンジの顔色を伺うように言う。シンジは
わずかに頬を赤らめながら続ける。
「いい方法を思いついたのよ。まず二人で一緒にお風呂に入って・・・」
「い、いっしょに・・・」
「最後まで聞きなさい!ばか!お互いがいまの自分の身体を絶対見ないで、前
の自分の身体を洗えばいいのよ・・・。ね。トイレでもそうすればよかったん
だわ」
「言っててはずかしくない?」
「ばかぁ!」ばふっ。シンジがアスカにクッションを投げつけた。


         第7章 とりかえばや男と女

 『ぼく』の身体は細くてすべすべしていて女の子みたいだ。湯煙の中で<シ
ンジ>は自分の背中を流している。筋肉なんてほとんどないようにみえる。で
も、おしりあたりはアスカと全然ちがう。アスカはもっと腰がくびれているし
お尻が大きい。でもこんなこと口にだしていえやしない。『ぼく』は黙ってぼ
くの身体の垢を落とす。
 どうみても『わたし』ってスタイルいいと思うわ。色も白いし。ファースト
ほどじゃないけど。あの子のは白すぎて・・・。胸だって少し『わたし』の方
が大きいと思う。形だっていい。あと何年かしたら男が放っておかないわ。加
持さんだって、きっと。
 少年と少女はものも言わずに黙々とお互いの身体を洗い続けた。聞こえるの
は湯船に注ぐ蛇口からのお湯の音だけだった。
「あつくなっちゃうわね」シンジがお湯を止めた。暑い。二人の荒い息だけが
聞こえる。
「な、!×○△@・・・・・!」シンジが突然うずくまった。
「どうしたの。<アスカ>!」アスカがシンジに声をかける。
 シンジは突然立ち上がり裸のまま出ていった。
 アスカはシンジ<アスカ>を刺激しないようにバスタオルを体に巻いて後を
追う。
「なによーっ。お腹に当たって気持ちわるーい」シンジはバスルームから飛び
出してリビングのカーペットの上にへたり込んでいた。
「しゃがむからだよ」アスカはシンジにバスタオルをかけて立ち上がらせよう
とした。
「・・・・・・・」
「・・・泣いてるの?」アスカはシンジの顔をのぞき込む。
「へ変態になっちゃった・・・。あたし、こんなふうになるなんて・・。この
まま男の子になるの?・・・・自分の裸のはずなのに!」
 そんなことないよ、とアスカ<シンジ>は言おうとしたのだった。うつむい
たシンジ<アスカ>の顎にそっと触れて顔を上げた。泣き濡れたシンジの顔が
あった。<アスカ>の目の前にアスカの心配そうな顔があった。頬が上気して
赤らんで、とても愛らしく見えて・・・・。
『わたし』はわたしにキスしているのよ。じぶんが可哀想だから・・・<アス
カ>は思っている。柔らかい唇の感触。その奥からざらざらした小さな動物の
ようなものが、餌をもとめる小鳥のように首をつきだして・・・『ぼく』はア
スカの舌に舌をからめて・・・・って、これは誰の舌?
 二人は唇を離した。唾液の糸がすーっと延びて切れて落ちる。二人はいぶか
しげに顔を傾けて、さっきの不思議な感覚を確かめるように、もう一度唇を合
わせてみる。
「・・・・ん」あれ、ぼくはアスカにキスしている。わたしはシンジと・・・。
「いつまでキスしてるのよ!バカ」アスカはシンジを突き飛ばした。シンジは
そのままひっくり返って・・。
「何するんだよ!痛いじゃないか!」シンジは叫んだ。
 二人はお互いを見つめ合った。まるで初めて出会ったかのように。
「なおってる・・・」二人は声をそろえて言う。
 そのころ冷蔵庫型住宅でうたたねをしていたペンペンは、突然わき起こった
男女の歓声に安眠をやぶられた。

  * * * * * * *

「ねえ、歩いててぶつかって転んだら直っちゃったって本当なの?」ミサトが
ネルフ印のマグカップを手にして二人の顔をのぞき込む。
「ほ本当だよ」シンジはなぜか視線を逸らした。アスカはミサトを睨み付けて
いる。
「だ・か・ら、ホントだってば!何度言わせたら気が済むのよ。わたしが本を
読みながら歩いていたらこのバカにぶつかって」
「バカって誰のことだよ」とシンジ。
「ま、直ったってことでいいじゃない」リツコがけだるそうに言う。徹夜で準
備したのに、直ってしまうなんて、彼女は思った。

  * * * * * * *

「ミサトさん、疑ってるね」シンジは彼の後ろからとぼとぼと歩いてくるアス
カに声をかけた。どこかで蝉がないている暑い午後。
「どうしたんだよ、さっきから一言も喋らないじゃないか」
「・・・ねえ、シンジ。あんたいままでにわたしを見てああなったことあるの」
「な、なんのことだよ・・・」シンジは思わず足を止める。
「あそこが立つことよ」茶色い髪の少女はおそろしく真剣に言った。
「ばバカなこというなよ。こんな道の真ん中でそんなこと言い出すなよ」
「怒らないから言いなさい」シンジはアスカの顔色をうかがった。そして一度
もない、と答える方が彼女をより怒らせるだろうな、と思った。
「・・ある」少年は消え入りそうな声で言う。
「何回?」そんなこと数えられるかよ、シンジはそう思ったが、
「さ3回かな・・・」と答えた。
「ファーストのこと見て、そうなったことあるの?」
「綾波ぃ?なんで綾波が」シンジは耳まで赤くなってゆく。
「あるんでしょ。言いなさい」アスカは引きそうにない。
「1回だけ・・・ある」
「よろしい。正直に答えてくれてありがとう。でも、今度からわたしの事見て
興奮しないでねっ。迷惑だから」
「うん」
「・・・・ねえ、直ったお祝いにショートケーキでも食べて帰らない?いい店
みつけたのよ。わたしがおごるから」
「うん」
 少年と少女は、灼けたアスファルトからたち上る陽炎の中の街に向かって歩
いていった。


         最終章 冬月コウゾウの『総括』

「ま、わけのわからん事件だったが、使徒が来なくてよかった。なあ碇」
「ああ」



お  わ  り

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